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なんにせよ... | 2006年11月12日
「いじめ」ねぇ...問題が多いねぇ。
「群れ」で生きる動物の世界には必ずあることだけど多すぎるね...
何となくだけど、僕の目からみると「リーダー」がいない感じだな。
あとさ、教師ばかりの責任じゃないよね...
家庭の中の問題ばかりでもないよね...
人とのコミュニケーション不足だね...
例えば、ここ十年の中に「コミュニケーション不足」に繋がる
何か根本的に「頭に刷り込まれた何か」が今の日本人を動かしている様な...
なんだろ...?
誰か思いついたら「ヒント」でも良いから教えて。
投稿者 Madbavoo : 2006年11月12日 00:04
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トラックバック時刻: 2007年04月18日 19:12
コメント
個人的な考えになりますけど・・・・
子供の喧嘩に親が出すぎてしまい、
いやゆる「ガキ大将」って存在がなくなりつつあるのでは?と・・・
まだ、可愛らしい「子供の喧嘩」レベルで学ぶ「社会のルール」と言うものを、最近の子供は学んでいないと思います。
あと、子供の起こした問題を責任転嫁している親の存在。
TVで見ましたが、「箸の持ち方が出来ていない」事が、なんで教師の責任になるの?
子供の行動やしぐさすべてを「教師の責任」とするのならば、その「親」は不必要です。
そして、「塾」や「進学塾」と言った、「常に競争の場」に子供を投じ、ただ、いい大学へ行くためだけの勉強をさせる。
これで、勉強は出来るかもしれないけれども、人との関わり合いという、勉強以上に大切なこの先生きていく術の勉強が疎かになった子供の出来上がり。
そういう親の口癖みたいなものが、「遊んでいるヒマがあったら勉強しろ」ではないでしょうか?
そういう流れから、子供の時点で「他人を蹴落とす」という感情を持っているのでは?と感じるんです。
だから、「いじめ」という手段も、その「蹴落とす」手段の一つではないのか?って思ったりもします。
書いていて、自分でも分からなくなってきました(笑)。
投稿者 林原 : 2006年11月12日 07:09
私は、イジメられた事と言えば、、、。
『おまえんち、貧乏〜!』って男の子に言われたことが、低学年の時にあったけど、
幼いながらに、お金持ちじゃないのは私のせいじゃないしって思ったことと、
やっぱり言われて嫌な言葉だったせいか?
ムカついて殴り合いの喧嘩に...。
手を出したのは私が先だったが、その時の先生は理由を聞いて
彼を怒って私をいたわってくれた事が、嬉しい記憶として残ってます。
それからはイジメ?とはほど遠い生活でしたが、
学生生活にある、もう1つの問題で、先輩の呼び出しですね。
何回もあったけど、これは、これで、先生や親に入ってきて欲しくなかったから、
自分なりに、あれやこれやと乗り切りましたが、
今でも、ちょっと良い経験になってると思いますね。
いきなり呼び出される環境へ自分がどう対処していくか?
その環境をどう生きて行くか?
あの頃、よく考えてましたからね...。
きっと、そこに先生や親が入ってきてたら、生きるためにどうしていくか?って言う
”考えるチカラ”は育たなかったと思うし...。
子供に甘い部分も感じます。
投稿者 Yu-na : 2006年11月13日 05:13
もうやばいな...今日も「子供がうるさいから殺した」とか言ってるし
人間として、言葉が使え、感情表現ができるのに「殺せば終わり」。
「コミュニケーション」って動物で行われるものだぜ...
「自分の子供を殴り窒息死」...ありえない。
やはり何かを刷り込まれていて、気づかないうちに
「殺す=気に食わなきゃ良いじゃん」になっている。
さて、ここで考えうる事は何か...
・日本を見捨てて、外国に移住する。
・自分自身の考えをどうにか世に伝えられないか、思案する。
さぁ、どっちが現実的かなぁ...
投稿者 Madbavoo : 2006年11月13日 16:07
大分ヤバイですね...。
なんだか、結局は親の親の...って責任になっていっちゃう世界にも見えますわ!
どうなっていくのか...自分は自分ってしっかり自分を持つことと、やっぱりコミュニケーションが大事ですね。
学校で、生きるために必要な道徳的なことや、表現の仕方をもう少し重きをおくことが重要ですね。
人間としての教育?
よくわからなくなってきましたが、国語はあっても人間については授業内容が薄いですよね、人間なのに。
宿題とかテストが親も参加する問題になれば良いのにな。
決まりのない答え合わせをする様な授業になるし、それこそ答えは一つじゃないって人生に繋がりませんか?
投稿者 Yu-na : 2006年11月13日 18:50
僕はMAILの普及化もコミニケーションの問題に
関わっている気がします
投稿者 uki : 2006年11月14日 00:42
最近の子供の遊び方を見ていると低学年のうちは必ず親の目がある中で遊んでいると思う。少しでも揉め事があるとすぐに仲裁が入る。子供自身が学びながら解決する事が少なくて考える力が付かないと思う。子供の世界を与えない親が多い。普段、学校での休み時間てとても少ない。5分休みと20分休みと昼休みの20分位しかない。子供同士で遊ぶ時間なんて 短い。ほとんどの子がこれぐらいしか、遊んでいないと思う。放課後は習い事。皆ふたつはやっているからドンドン遊ぶ時間てなくなる。 私の考えとしては、たくさん遊んでいると、勉強する力も付くし、人同士のコミニケーションも養うと思う。
投稿者 Anonymous : 2006年11月14日 04:34
教育 二つの意味があります。
教え、育てること。教わり育つこと。
一方方向では成り立ちません。お互いが、お互いを尊重し、 初めて成り立つものです。
相手を育て、自分も育つ。その意識のみが教育に必要だと感じています。私はそう考え、感じています。
投稿者 TFオーナー : 2006年11月15日 02:06
皆さまありがとうございます。
個々に感じている事は様々ですが、やはりオカシなことになっている事は間違いない様ですね...
ぼく、書き込み全て読んで、何か感じているんですが、まとまらないんです。
一つ一つ考えて整理し、頭に浮かんだ事を書きたいと思います。
とり急ぎお礼の返信だけさせてください。
投稿者 Madbavoo : 2006年11月16日 05:47
「子供を外であそばせる!」
「成長してきたら強制ヤンキー!」
「土日は必ず家族で出掛ける!」
どうでしょう?
投稿者 りゅういち : 2006年11月16日 23:46
「未来のある君たちへ」というタイトルの文章が文部省から子供達に配られるみたいですけど(僕はTVは見ませんが)役人言葉でメッセージが伝われば良いのですが。
でも誰が書くべきかも分かりません・・。
投稿者 uki : 2006年11月17日 21:26
同い年や、年下がいじめ理由に死んでいく…。
感受性が強い時期にいる私たち子供も、精神的に強くなっていかなければならないと思います。。。
投稿者 まーちゃん : 2006年11月25日 15:37
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